概要
西ローマ帝国の滅亡後からルネサンス期にかけて発展した暗号技術について、頻度分析、外交暗号、物理的な暗号具、日本独自の暗号を例に説明する。
扱う時期は、西ローマ帝国が滅亡した476年頃から、ルネサンス期の16世紀頃までを中心とする。
この範囲では、9世紀の頻度分析、15世紀から18世紀頃の外交暗号、16世紀の暗号具や暗号事件が重要になる。
この時代の暗号は、古代の単純な換字や転置から一歩進み、言語の特徴、外交文書、スパイ活動と結び付くようになった。
特に、頻度分析の発見によって、単純な換字式暗号は「作る技術」だけでなく「解く技術」も意識されるようになる。
中世からルネサンス期の暗号技術(476年 - 16世紀)
- 概要
西ローマ帝国の滅亡後も、暗号は軍事、外交、宗教、商業などの場面で使われ続けた。
この時代の大きな特徴は、暗号が単なる文字の置き換えから、言語や文書の性質を利用する技術へ発展した点にある。
暗号を作る側と解く側の知恵比べが、よりはっきり見えるようになった。 - この時代の主な変化
中世からルネサンス期にかけて、暗号技術には次のような変化があった。
- 単換字暗号が広く使われる。
- 頻度分析によって単換字暗号の弱点が明らかになる。
- 外交文書では、文字の暗号と単語のコードを組み合わせる。
- 日本でも、文字を表と数字で置き換える暗号が使われた。
- 物理的な道具を使い、秘密文を隠す方法が考案される。
頻度分析の発見(9世紀頃)
- アル・キンディーと頻度分析
頻度分析とは、文章中に出てくる文字の回数を数え、暗号文の文字と平文の文字を推測する解読方法となる。
9世紀頃、イスラム圏の学者アル・キンディーは、言語には文字ごとの出やすさに偏りがあることに注目した。
例えば、英語ではEやTがよく出やすく、日本語でも助詞や特定のかなが多く出やすい。 - 仕組み
単換字暗号では、平文の同じ文字は、暗号文でも同じ文字に置き換わる。
例えば、次のような対応表があるとする。
平文 A B C D E 暗号文 Q W E R T この場合、平文で
Eが多く出る文章なら、暗号文ではTが多く出る可能性が高い。
つまり、暗号文の文字の出現回数を数えることで、元の文字を推測できる。暗号文で最も多い文字 -> 平文でよく出る文字かもしれない 暗号文で2番目に多い文字 -> 次によく出る文字かもしれないこれにより、古代から使われてきた単純な単換字暗号は、十分な長さの暗号文があれば解読されやすくなった。
外交とスパイ活動の暗号(15世紀 - 16世紀)
- ノーメンクラタ(Nomenclator)
ノーメンクラタは、15世紀から18世紀頃のヨーロッパ外交で広く使われた暗号方式となる。
特徴は、文字の置き換えと、単語を番号に置き換えるコードを組み合わせる点にある。
例えば、人名、地名、重要な政治用語などは、文字単位ではなく番号で表す。対象 表現 通常の文字 別の文字に置き換える。 王、女王、都市名 専用の番号に置き換える。 よく使う語句 短い記号や数字に置き換える。 これにより、単純な頻度分析だけでは読みづらくなる。
ただし、同じコードを長く使い続けると、文脈や反復表現から解読される危険がある。 - バビントン事件
バビントン事件は、1586年に起きた暗号解読と政治事件の代表例となる。
スコットランド女王メアリーは、エリザベス1世の暗殺計画に関係する暗号文をやり取りしていた。
しかし、その暗号は解読官によって読まれ、計画の証拠として利用された。この事件は、暗号が破られると、単なる通信内容の漏えいではなく、政治的な結果に直結することを示している。
日本独自の暗号(戦国時代・15世紀後半 - 16世紀)
- 上杉暗号(九ノ字暗号)
上杉暗号は、戦国時代に上杉謙信が使用したとされる日本独自の暗号となる。
時期としては、15世紀後半から16世紀にかけての日本の戦国期に位置付けられる。いろはの文字を表に配置し、行と列の番号で文字を表す。
西洋のポリュビオス暗号に似た、表を使う換字式暗号と考えると分かりやすい。 - 仕組み
例えば、文字を表に並べ、行と列の組で表す。
一 二 三 一 い ろ は 二 に ほ へ 三 と ち り この例では、
いは一の一、ろは一の二、には二の一のように表せる。
実際にはより多くの文字を扱う必要があるため、表の作り方や読み方を共有しておくことが重要となる。
物理的な道具を使った暗号(16世紀頃)
- カルダノの格子(Cardano Grille)
カルダノの格子は、16世紀頃に知られるようになった、穴の開いた板を使って秘密文を隠す方法となる。
送信者は紙の上に格子を置き、穴の部分だけに秘密の文字を書く。
その後、格子を外し、周囲に普通の文章を書き足す。1. 穴の開いた板を置く 2. 穴の位置に秘密文を書く 3. 板を外す 4. 周囲に自然な文章を書き足す受信者は同じ格子を重ねることで、穴の位置にある文字だけを読める。
これは暗号文を読みにくくするだけでなく、秘密文が存在すること自体を隠す考え方に近い。 - 特徴
- 一見すると普通の手紙に見える。
- 同じ格子を持つ人だけが秘密文を取り出せる。
- 格子を失うと復元が難しくなる。
- 文章を自然に見せる工夫が必要となる。
中世からルネサンス期の暗号を比較する
- 代表的な暗号と出来事
ここまでの内容をまとめると、次のようになる。
名称 時期 種類 特徴 頻度分析 9世紀頃 解読技術 文字の出現回数から換字表を推測する。 ノーメンクラタ 15世紀頃から 外交暗号 文字の暗号と単語のコードを組み合わせる。 上杉暗号 戦国時代 表による換字 文字を行と列の番号で表す。 カルダノの格子 16世紀頃 物理的な秘匿 穴の開いた板で秘密文を取り出す。 バビントン事件 1586年 暗号解読事件 解読が政治的な証拠となった。
要約
- 476年以降の中世からルネサンス期には、暗号が軍事・外交・諜報と強く結び付いた。
- 9世紀頃のアル・キンディーの頻度分析により、単純な単換字暗号の弱点が明らかになった。
- 15世紀から18世紀頃のノーメンクラタは、文字の暗号と単語のコードを組み合わせた外交暗号となる。
- 戦国時代の上杉暗号は、日本独自の表を使った換字式暗号として理解できる。
- 16世紀頃のカルダノの格子は、秘密文の存在を隠す物理的な暗号具となる。